M社は、新作映像ソフトのデータ欄を作成し、それを業界誌に納品することを主業務とする、珍しい業態の編プロでした。
この「データ欄」は、W社で私が担当していた「レビューページ」の縮小版のようなもので、作業内容はほぼ同じでした。
違った点といえば、すべてのテキストを社内で作成していたことと(W社時代も、私の在籍時の後半は資金の問題でかなりの数を社内で作成するようになっていましたが)、アダルト作品の情報も扱うようになったことぐらいです。

なお、M社がデータを提供していた業界誌は「セル用」と「レンタル用」に分かれており、さらにそれぞれが「一般用」と「アダルト用」に分かれていたため、計4誌ありました。
「映像ソフトの業界誌」と聞いただけではどのようなものかわからない人もいると思いますが、端的に説明すると、映像ソフトの販売店やレンタル店の方々や、それらの店舗を運営する会社の仕入れ担当者などが読む映像ソフト情報誌であり、書店に並ぶ雑誌ではありません。私は下請け会社の一社員でしかなかったため詳細はわかりませんが、本の販売による収入よりも、DVDメーカー各社からの広告収入のほうが収益の要だったと思われます。

M社への入社後ほどなくして、立て続けに退職者が出たこともあり、私は「チーフ」という肩書になりました。
とはいえ、実際のところは肩書がついたただけで、特定の部下がいたわけではありません。新入社員が入ったときに指導したり、何かしらのとりまとめが必要なときに主導的な立場になったりする程度で、マネジメントといえるような業務はほとんどありませんでした(そして、データ欄作成については私よりもかなり勤務歴の長い、一つ年上のAさんという実質的なチーフがすでにいた。この方も結構なシネフィルだった)。

正直なところ、仕事は単調な分、楽でした。ただし、M社は「データ」を作ることが主業務であることから、かなり高度な正確性が求められていました。その点は、M社の業務を通してかなり鍛えられたと思います。
とはいえ、ひたすらデータを作るだけなので、そのまま割り当てられた仕事をし続けているだけでは、W社から転職した理由の一つであった「ある程度まともな額の給料が欲しい」という希望を叶えることはできません(W社より少し多めにもらっていたが、やはり給料は安かった)。

そのため、入社して業務になれたのちは、常に「何か新しい仕事を開拓して、もっと会社に貢献することで自分の給料も上げたい」と考えていました。また、「このままデータ作成をしているだけでは、自分ができる仕事の幅を広げられない」と感じ、少々焦ってもいました。
しかし、そのまま自分から具体的なアクションを起こすことができないまま1年ほど経ったころ、ようやく仕事の幅を広げるチャンスがめぐってきました。

M社がデータ提供をしていた4誌のうち、「アダルト用」の2誌の記事ページ(データ欄とは別に、新人女優の紹介・取材記事、AV監督やメーカー担当者、店舗などの取材記事、読者が仕入れの参考にするのための特集企画などを組む読み物ページ)の編集を担当していたF社が担当から外れることになり、M社にその記事編集のオファーがあったのです。

新たな領域の仕事に飢えていた私は、その話を聞いて担当となることを志願し、以降、それまでまったく経験のなかった「アダルト系映像ソフト情報専門の業界誌編集者(兼ライター)」となりました。