なんと!半年以上ブログを放置してしまいました。

前回はクリスマスのことを書いたのに、今日から関東は梅雨入り、2023年ももう折り返しとは、時の流れに身をまかせすぎた気がします。

先日、中1になった息子の学校の運動会がありました。初めて中学校の運動会を観覧したのですが、小学生とは全然違う迫力で、中3男子はもはや大人!大縄跳びやムカデ競争など、チームワークで競う競技も多く、大変エキサイティングな運動会でした。

自分が子供だったころの運動会ってどうだったかしら?と思い起こすとぜんぜん思い出せないことに衝撃を受けました。小学校のブルマ(昭和のパンツ的なやつ)が嫌だった記憶と6年生の時に組体操をやった記憶が少しあるものの、中高に至っては1ミリも覚えてません。運動がぜんぜんできなかったので、リレーの選手などに選抜されたことは皆無ですし、あまり良い思い出はないのでしょう。都合の悪いことは忘れる体質の賜物なのではないかと思います。

1つ、自分のことではないですが、すごく記憶に残っている運動会があります。1980年代の頭、私が小学校低学年だったころは、地域の自治会が主催する運動会が開かれていました。地元の商店がご自分のお店の商品を協賛してくれたり、お金持ちの地主の方が豪華景品を提供してくれたりと、けっこう盛大な運動会だったと記憶しています。ある時の運動会、まだ開園間もないディズニーランドのチケットが超目玉の景品として提供されたことがありました。まだ誰も足を踏み入れたことがない未開の地、とんでもなくステキな夢の国へのパスポート、それは誰もが欲しがるものでした。

忘れもしない、障害物競走のゴール手前にその垂涎の品が置かれました。この競技に参加する権利があったのは大人だったと思います。ディズニーランドは誰の手に!そう固唾をのんで見守る中、2トップで走ってきたのは布団屋の奥さんと金物屋の奥さんでした。お二人とも普段はおっとりとされたおだやかな感じの方でした。やはり母は強し!なのでしょうか?普段の様子からは想像できない勢いで二人ともディズニーをつかみ取りに行きます。私の記憶の中で盛ってる可能性も高いですが、手にした瞬間はほぼ同時、そこからものすごい取り合いが展開されました。お互い一歩も譲らず、チケットが入っているであろう祝儀袋が真っ二つに割れるんじゃないかと思ったところ、軍配は布団屋さんに上がりました。あまりのド迫力に会場が静まり返っていた記憶があります。

その数年後、自治会でディズニーランドに行ったことがあります。私にとっては初ディズニーとなりました。あの凄まじいデッドヒートが要因で企画されたのかはわかりませんが、今でも忘れられない楽しかった思い出です。

母になった今、お二人の思いが少しわかったような気もして、ちょっと泣きそうになったりもします。