初めての書籍(正しくはムック)制作は、楽しかった反面、苦い思い出でもあります。

まず、私は経験不足ゆえに「本を1冊つくる」ためのスケジュール感がつかめていませんでした。
しかも、当然ながら本業のアダルト業界誌の仕事と並行しての作業です。
結果として、私は仕事のコントロールができなくなってしまい、作業の最繁忙期には4晩連続で徹夜する(といっても、オフィスの床で2時間ずつ程度は寝ていたが)という強行軍でした(この時以外も度々徹夜し、当然、制作期間の数カ月は休日もほぼ全返上だった)。
そして、この本の制作期間終盤には体調がおかしくなり、尾籠な話で恐縮ですが、初めての血便も経験しました。

このときのことで印象に残っているのは、M社の後輩で、現在は脚本家のEさんと一緒に取材に行ったときのことです。

書籍制作の最中、本業のアダルト系業界誌の仕事でカンパニー松尾監督にインタビューすることになりました。
そこで私は、松尾監督フリークとして数々の作品を鑑賞していたEさんに、取材への同行をお願いしました。

当日は、この取材を終えたのち、お笑い本の仕事で東京ダイナマイトさんの取材に立ち会う予定が入っていました(M社の複数の同僚にインタビュー取材と原稿作成の協力をしてもらっていたが、取材経験が少なく立ち合いを希望する人の現場には立ち合うようにしていた)。

そしてカンパニー松尾監督のインタビューを終えたのち、同じくAV監督だった松尾監督の弟さんにも短いコメントをもらおうと、追加取材を行いました。
このとき私は、取材時間は10分くらいでよいと思っていたのですが、根が真面目で几帳面な性格のEさんは、「せっかく取材に応じていただいたのだから、弟さんの話もしっかりと聞かなくては失礼」と考えたようで、1時間近く取材を続けることに……(取材への同行をお願いしている立場だったため、無理矢理中断するのも申し訳なく感じ、できなかった)。

しかし、次の取材まで時間がありません。携帯には、不安を感じたインタビュー担当の同僚Tさんからの電話がひっきりなしにかかってきていました(Tさんは、インタビュー取材が初めてだったため、かなり強く私の立ち会いを希望していた)。
その後、大幅に遅れて取材場所に指定されていた劇場に到着(幸いにも取材現場は近かった)。東京ダイナマイトさんの出番が押していたため、ギリギリで間に合いました。

Eさんはこうした気遣いのある几帳面な性格だからこそ信頼できるのですが(その後も、フリーになったEさんには仕事関連でいろいろとお世話になっている)、正直、このときは「もう少しアバウトでいいのに…」と思いながら、ヒヤヒヤしました。

また、当時の恩が忘れられない一人が同僚のAさん(以前、少し触れた“実質的チーフ”のAさんとは別人)です。
私より1歳年下だったAさんは、おそらくM社でもっとも仲の良かった後輩です(先方が私をどう思っていたのかはわかりませんが)。
当時は毎月1回の業界誌の校了後、二人でお酒を飲みに行く仲でもありました。
Aさんは、W社のFさん、M社のAさん(“実質的チーフのほう)に続いて私が出会った3人目のシネフィル(映画狂)で、今はフリーで映画ライター業をしています。

さきほど、この時期に4晩徹夜したと書きましたが、Aさんはそのうち3晩(だったと記憶している)、徹夜につき合ってサポートしてくれました(ちなみに、先述のカンパニー松尾監督フリークのEさんも、最後の2晩[だったと思う]、徹夜につきあってくださった)。

二人とも、私と一緒に徹夜をしたところで会社から報酬が出るわけでも、評価が上がるわけでもありません。
それでも徹夜につき合ってくれたのは、当時の私がかなり切羽詰まっているように見えたからだと思います(それに加えて、お二人も私と同様に“このままデータ作成の仕事ばかりを続けていても先が見えない”という気持ちがあったのだと思う)。
その節は、本当にご迷惑をおかけしました。

しかも、4晩目の徹夜をしたあとの朝、感情や思考力が崩壊した私は、夜通し制作作業につき合ってくれた二人に向かって「すごくありがたいことのはずだけど、今、感情がなくなっていて、あまりありがたい気持ちがわいてこない」などと、言わなくてもいいことを宣言する始末。
あのときは本当に申し訳ありませんでした。感情が戻った今は、お二人の優しさと心意気が、心の芯にまで染みています。