アダルト系映像ソフト業界誌の編集者になった当初のことで、一番印象に残っているのは「魔裟斗はすごい」ということです。

毎月、多くの新人女優がデビューします。
誌面で大きめに紹介する場合は、メーカー一推しの新人女優にインタビュー取材することもありましたが、人数が多いこともあり、多くの場合は単体女優(※)としてデビューする方にアンケートに答えてもらい(当時はメールではなく、FAXで手書きの回答が送られてくることが多かった)、それを文章としてまとめて、プロフィールやデビュー作紹介などとともに新人女優の紹介ページに掲載することになっていました。
……
※セクシー女優は、単体女優(メーカーがその女優単体の魅力や知名度で売れると考える女優)と企画女優(女優そのものの魅力より企画優先で出演オファーされる女優。単体より劣ると見なされるが、身内バレのリスクが低いためあえて企画女優となるケースも)に大別され、その中間の企画単体(キカタン)女優というのも存在する。
……
そのアンケートの質問項目の1つに「好きな男性のタイプ」というものがあったのですが、当時、その項目には4分の3くらい(印象としては、5分の4から6分の5くらいだったかも)の確率で「魔裟斗さん」と書かれていました。
余計なお世話だと思いますが、当時の矢沢心さんは、いろいろと気苦労が多かったのではないかと思います。

版元のK社には、アダルト系の広告営業を一手に引き受けていた、Kさんという方がいました。Kさんは、大学時代にアメフト(だったと記憶している)をしていた筋トレが趣味のマッチョで、性欲が強いことを自認するギラギラ系のアラフォー独身男性でした。
取材に行くときは、このKさんと二人か私一人で行くことが多かったのですが、ときには私一人で手首までびっしりとタトゥーの入ったAV監督にインタビューをすることもありました。

そのときの取材記事をメーカーにチェック出しをして、「うちの作品の特徴や魅力をうまくまとめてくれてありがとう」といった優しい内容のコメントをいただいたときには、「そういう感想を言ってくれたりするんだ……」と、ホッとした記憶があります(人を見た目で判断してはいけないと思いつつ、そして仕事上の関係とはいえ、威圧感ある見た目のAV業界人はやはり少々怖かった……)。

ちなみに、Kさんは私とは性格やキャラクターが真逆のタイプだったのですが、二人ともお酒が好きだったこともあり、それなりに仲良くしていただきました。
Kさんは前述のとおりかなりアクの強いタイプのだったため、版元やM社内では一定数、やや敬遠している人もいたようですが、実際に二人で話すと気遣いや愛嬌のある方でした。私がそれまでつきあったことのないタイプの人だっただけに、今でもたまに「Kさん、何しているかな」と思い出すことがあります(今はつき合いがない)。

当時取材した女優の中で、とくに印象に残っているのは七海ななさんと明日香キララさんです。
七海ななさんはデビュー時にインタビューをしたのですが、本当に“少女”という雰囲気で、「将来は女優としてお芝居の仕事もしたい」と仰るのを聞きながら、「AVの世界でやっていけるのかな」と少し心配になった記憶があります(まったくもって余計なお世話だと思いますが)。
明日香キララさんは、「レンタル版」のほうの編集長を含む版元担当者2人とKさん、私の4人で取材をしたため(その年にデビューした新人女優の誌上人気投票[もしくは売上だったかも]で1位を獲得したことへの表彰を兼ねた取材だったと記憶している)、私からはほとんど質問をしませんでしたが(この日、私は体調を崩してくしゃみや鼻水が止まらなくなってしまい、しかも大雪だった)、AVメーカーの応接室と思しき重々しい雰囲気の部屋で、メーカー側の重役を含めた多くの大人に囲まれながら、冷静に淡々と取材に応じていただいた姿が印象に残っています(見た目は名前通りキラキラしていたが、キャピキャピ〈死語?〉した感じはなく、若いながらも落ち着いた雰囲気があった)。
当時からもう15年以上が経ちましたが、たまにメディアなどでお二人が活躍している姿を見かけると、単に「1回だけ取材をしたことがある」という極薄な縁しかないものの、懐かしく感じます。

こうして2年ほどアダルト業界誌の仕事をしていたときに、もう一つ、仕事の領域を広げるチャンスがやってきました。
版元であるK社の方々とM社と合同の飲み会の席で、それまで付き合いのなかった版元社員のAさん(この方は業界誌の編集者ではなく、一般流通書籍の編集者だった)と同席した際、そのAさんから「お笑いの本をつくりたい」という話が出たのです。

Aさんとしては、酒の席での軽いひと言だったかもしれませんが、私は自他共に認める空気が読めない(そして社交辞令や冗談が通じない)男です。
さほど間を置かずに企画書を作成し、M社の社長とともに「この前仰っていたお笑いの本ですが、うちでつくらせてください」と営業に行きました。
こうして私は初めて、「雑誌(および業界誌)」ではなく、「書籍(正確にはムックでしたが)」の編集を担当することになりました。