はじめまして。(株)小道舎の小芝俊亮です。
自己紹介の第1回は、主に私の出身(地)について書こうと思います。
(1回目なので、気負ってしまい&配分がつかめず長くなってしまいましたが、このページにたどり着いた希少な方は、これも何かのご縁と思ってお付き合いいただけますと幸いです)
私の生年月日は1974年(昭和49年)11月13日です(2022年7月現在、47歳)。生年は異なりますが、誕生日はジャニーズの木村拓哉さんと欽ちゃんファミリーの見栄晴さんと同じです。年代は松井秀喜さん、有吉弘行さん、サンドウィッチマン、ザブングル加藤さんなどと一緒です。
生まれたのは千葉県千葉市で、0歳か1歳の時に千葉県四街道市の新興住宅地「千代田団地」に引っ越したと聞いていますが、もちろん当時のことは覚えていません。父は地方公務員、母は専業主婦でした。
なお、父方の祖父母は千葉県出身で、母方の祖父は千葉県、祖母は長野県の出身なので、私自身は、血筋としては千葉と長野のクオーターです。
Wiki情報によると、四街道市出身の有名人には、日本共産党の志位和夫さん、芸人の東京03・飯塚悟志さんなどがいるようですが、もちろん無関係です(かなり薄い縁ですが、飯塚氏には2009年にキネマ旬報社の「お笑いパーフェクトBOOK」という本を制作した際、東京03とキングオブコメディという人力舎芸人対談の取材でお会いすることができました。ブレイク前夜の飯塚さん(というか東京03のお三方)にお会いできたのは、今思えば貴重な経験でした。そういえば、この本を制作した際にはゴッドタンの「マジ歌選手権」も取材していて、今をときめく佐久間宣行さんとも名刺交換をしました)。
四街道市にはこれといった観光資源や産業などがなく知名度も低いため、どんなところか少しだけ説明しますと、千葉市と佐倉市に囲まれた市で、一時期、千葉市との合併の話もあったようです。
市内の人口の多くは、私が育った団地と同様の新興住宅地の在住者が多く、先祖代々根づいている農業関係者や地主といった人たちは、少なかったと思われます(推測ですが)。もちろん、小学校時代の同級生は同じ新興住宅地で育った人たちなので、両親の出身地はみんなバラバラの寄せ集め状態で、先祖から土地に根づいている…という人は、ほぼ皆無だったと思います。
ただし、住宅地を離れると里山などもあり、意外とのどかな風景も広がっていました(現在は、私の子ども時代より少し緑が減っている印象ですが)。
同地の公立小学校・中学校、私立高校を卒業したのち、一年の浪人生活を経て日本大学に入学。芸術学部の文芸学科を選んだのは、文学が好きだったこともありますが、国語と英語という2教科の試験のみで入学できた(しかも試験はマークシート)という部分が大きかったです(その他、面接や小論文などもありましたが)。
つまり、勉強は嫌いなうえに苦手でした。しかし、浪人時代の1年間だけは、苦手な英語の勉強をなんとか頑張りました(なぜか国語は、マークシートであれば勉強をしなくても点数が取れた)。
大学入学後は結婚するまで一人暮らしとなり、埼玉県の入間郡三好町、練馬区練馬、江戸川区松島(JR新小岩駅のあたり)、墨田区向島(ここで結婚&息子誕生)、墨田区立花を経て、今の北区赤羽にたどり着きました。
文芸学科出身者らしい話を少しすると、小学校の中学年くらいから長姉の本棚にある本をよく読むようになり、最初の小説体験は椎名誠さんや星新一さんなどだったと記憶しています。あと、清水義範さんの本も面白くて好きでした。当時は、姉が定期購読していた「本の雑誌」もよく読んでいました(読者の投稿コーナーが特に面白かった)。
余談ですが、以前、かつて妻の仕事上のクライアントだった「目黒さん」という方とお酒を飲む機会があり、その席上でその方が「本の雑誌」発行人の目黒考二さんの息子さんだと知り、ほぼ35年越しの偶然の出会いに大変感慨深い思いをしました。
話を本筋に戻しますと、小学校時代の一時期、眉村卓さんにハマっている時期もありました。そして高学年になると、塾の国語の授業で読解力や漢字力を高めるための参考書として吉川英治や司馬遼太郎の小説が採用されていたため、それをきっかけに中学時代まで歴史小説にどっぷりとハマりました(司馬遼太郎に関しては、小説作品はほぼすべて読んだと思います。『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』などいくつかの好きだった作品は、複数回読んだ)。
中学時代も中盤になって色気づいてくると、少し気取って(という部分もあったと思う)近代から戦後にかけての純文学なども読むようになり(実家に日本文学の全集があり、気軽に手に取ることができたということもありますが)、その後、現代の文学系の小説家の作品も読むようになりました。
高校~浪人時代にかけて一番ハマった小説家は島田雅彦さんでした。島田さんは、初期には新興住宅地を舞台にした作品が多かったため(島田さんの出身地の川崎は、私の出身地よりだいぶ都会ですが)、共感しやすかったという部分もあると思います。
当時は、「自分は生まれ育った土地との繋がりが希薄なうえ、都会のようにさまざまなものに接する機会や刺激もない土地で、中途半端に育ってしまった」…などと思って生きていたような気がします(ちなみに、大学2年の時の学園祭でひょんな流れで実行委員会に参加することになり、島田雅彦さんを講演に招いてお会いすることができました)。
今考えると、そこそこ平和な土地で平凡に暮らせたことはとても良いことだったとも思うのですが(中1のとき、私自身はまったく不良ではなかったのに、なぜか中3のヤンキー軍団に呼び出されて暴行を受けたり〈今も原因は不明〉、友達と千葉に買い物に行ってカツアゲされたりといった、些細な事件はありましたが……)、当時は平凡でたいしたドラマのない生い立ちや生活がコンプレックスでした。
この「出身地」に対するコンプレックスは、30代になるころにはなくなっていたと思いますが、自分では気づかないだけで、今でも少し引きずっている部分はあるのかもしれません。